10月23日、イタリアのミラノで開かれた「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」の予選ラウンド。フィンランドの2020年と2021年のバリスタ・チャンピオンであるカーポ・パーヴォライネンは、麹で発酵させたオリジナルコーヒーを審査員に試飲してもらった。決戦ラウンドに進める上位6位入りは逃したものの、コーヒー豆の革新的な精製方法を世界に紹介できて興奮をおぼえたという。
彼が見据えているものは、バリスタ世界一という栄誉よりも大きなものだ。麹を利用したコーヒー豆の精製は、経済的に苦境にあるコーヒー農家の所得向上につながる潜在力を秘めているのだ。
NPOのエンヴェリタスによると、世界の小規模コーヒー豆農家の44%は貧困状態にあり、22%は極度の貧困にある。パーヴォライネンが開発した新たな精製方法を導入すれば、こうした農家の収入は現状より持続可能なものになるかもしれない。麹には、コーヒー豆製品の品質を顕著に高める力があることがわかったからだ。
1年ほど前、パーヴォライネンは、どうやれば従来よりももっとおいしいコーヒーをつくれるのか頭をしぼっていた。彼によれば、既存のコーヒー豆精製方法では、豆の持ち味を十分に引き出せないという。「コーヒーの本来の甘味は豆の糖分に由来していて、その糖分が足りないと不快な苦味が生じます。ですが、現行の方法では利用できる糖分の7割しか引き出せないんです」
残り3割の糖分を利用するにはどうすればよいのか。それには麹が使えそうだと知ったのは、ジェレミー・ユマンスキーとリッチ・シーの共著『Koji Alchemy(未邦訳)』とレネ・レゼピとデイヴィッド・ジルバーの共著『The Noma Guide to Fermentation(邦訳ノーマの発酵ガイド)』という2冊の本を通してだったという。
この斬新なアイデアの実現に向けて、パーヴォライネンは米オハイオ州クリーヴランドのコーヒーコンサルタント、クリストファー・フェランと連絡をとり、またコロンビアのエル・ベルヘル農園と提携して特別な豆をつくってもらうことにした。さらにユマンスキーのほか、大阪の種麹専門店、樋口松之助商店の樋口弘一からも技術的なアドヴァイスを受けた。
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樋口は自身も、麹で発酵させたコーヒーをすでに試験生産しているが、豆の果肉を使うパーヴォライネンの新しい手法に感銘を受けたそうだ。「コーヒーチェリー(コーヒーの果実)を丸ごと日本に輸入することは法律上できないので、わたしの実験では外側の部分を除いた精製済みの豆でしか麹を育てられませんでした。エル・ベルヘルのデータを見ると、特殊な機材や設備がなくても麹は豆の果肉でかなり早く育ち、健全な発酵が進んでいて驚きました」
品質の劣る豆が「麹パワー」で一変
パーヴォライネンらの新手法で特筆すべき点は、実験にあたってあえて品質が基準以下の豆を使ったところだ。「元の豆で淹れたコーヒーと、麹で発酵させた豆で淹れたコーヒーを自分たちで飲み比べてみました。違いは驚くべきものでした」(ユマンスキー)
この方法は多額の投資も必要としない。フェランによれば、一般的な株を用いたイースト菌の発酵コストが1ポンド(約450グラム)あたり0.12〜0.25ドル(約14〜28円)なのに対して、種麹は小袋1袋で35ドル(約4000円)ほどする。だが「麹は必要に応じて(コーヒー豆の)収穫量に見合った量に増やせるので、コスト効率はこちらのほうが良い」という。
麹を使ったコーヒー豆精製は画期的な手法だが、誰にとっても有用というわけではない。「申し分のない豆があるのなら、おそらく必要ないでしょう」とユマンスキーも認める。また、新手法を試すには精密な温度計の購入など多少の出費は必要になるため、たとえ有益だとわかっていても導入を渋るコーヒー豆生産者もいそうだと話す。
一方で、麹を使った精製に強い関心を示しているコーヒー豆生産者も世界各地にいる。パーヴォライネンのチームには、すでにフィリピンやタイ、ベトナム、ブラジル、コロンビア、中国の生産者から、農場で試してみたいという問い合わせが寄せられているという。
フェランによると、チームはエル・ベルヘル農場と組み、樋口のラボの助力も得ながら、この新手法を用いた未焙煎のコーヒー豆300キロを輸出向けに生産することに取り組んでいる。
パーヴォライネンは、開発した手法をコーヒー農家の支援に役立てたい考えだ。「麹発酵コーヒーには輝かしい未来が待っていると確信しています。2022年のワールド・バリスタ大会では、別の品種を用いて、さらに洗練させた麹発酵コーヒーを披露したいと思っています。人々に信じてもらえるまで、新しい手法の効果を証明し続けなくてはならないので」
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