コーヒーを飲み続けて早20年。決してマニアではないけれど、自分の好みのコーヒーってどんなもの?!と模索し、自宅でもカフェでもスタンドでも、さまざまな産地の豆、挽き方、入れ方のコーヒーを味わってきた。海外に行くと、必ずローカルに人気のコーヒーショップを訪れたり、日本未上陸のブランドをチェックしたり。そういう意味では、ブルーボトルコーヒーはすでに自分の生活の中に馴染んでいて、"未開""新発見"というキーワードとは繋がらなかった。
京町屋をリノベートした、ブルーボトルコーヒー 京都カフェ。はなれ 2階のわずか5席のカウンターで特別コースが楽しめる。 ところが昨年末、グローバルコーヒーエクスペリエンス シニアディレクターでコースの開発者であるベンジャミン・ブリュワーが来日しスペシャルなコースを提供すると聞き、こんなチャンスはない!と慌てて京都へ。南禅寺のお膝元に位置するブルーボトルコーヒー 京都カフェで「Blue Bottle Studio - Kyoto - コーヒーコース」を初体験することに。
靴を脱いでカフェ2階へ上がり、茶室のような空間へ。静けさの後に、創業者であり音楽家のジェームス・フリーマンがセレクトしたレコードがゆっくりと流れ始める。茶道のような緊張感が漂いながら、"儀式"が始まった。
ワインのデカンタージュさながら、丁寧に液体を注ぎ込む。
コースの始まりは、マレーシアやマラウイ産のコーヒーの葉や実を使った「LEAVES, FLOWER, CHERRY」。ドリンク6種、スイーツ3種を供する「Blue Bottle Studio Coffee Course」(¥ 8,910)は春と秋の2シーズンに分けて開催。 コーヒーのコースと言われて、最初は単純に、酸味のある軽やかなコールドブリューから始まり、徐々に濃厚なホットコーヒーが出たり、最後はデザート感覚のコーヒーシェイクで締めるのかと考えていたが、想像をうんと超えていた。
最初の一杯(3杯)は、"コーヒーノキ"の葉、花、果実をインフューズしたアイスティー。コーヒーの葉だけれど、どことなく柿の葉茶のようなニュアンスがある。一方、花を使ったものは、ハチミツのような香り。
続いてはコーヒーのフリーズドライ、いわばインスタントコーヒー(?)「SOLUBLE(ソリュブル)」。お湯を注ぐ前は甘やかな香りだが、お湯を注ぐと知っているいつものコーヒーの香りに変化する。透明感のある綺麗な味わいに、ほっとひと息。
3種のコーヒー豆の個性をそれぞれ楽しめる「LONG CUP」。
自らカウンターに立つベンジャミン・ブリュワー。ネルドリップで最初は1滴ずつ、蒸らしながら丁寧にお湯を注いでいく。 薄くてさっくりとしたきな粉のクラッカーが出てきたところで、「LONG CUP(ロングカップ)」も登場。この日はブルーベリーのような軽やかさを持つベトナム、ココナッツなど独特の香りがするインド、わずかにタバコを感じるマレーシア産、3種のコーヒー。その香り、味わいの違いに驚きつつ、だんだんとリラックスモードに。
手前はパート・ドゥ・フリュイ「KOHAKU」、奥は濃厚な「SHORT CUP」。 金柑&柚子フレーバーに紫蘇チップと花穂じそが爽やかなスイーツ「KOHAKU(コハク)」と供されたのは、SHORT CUP(ショートカップ)」。ベトナム産のカネフォラ種とマレーシア産のリベリカ種をブレンドし、とろりと粘度のある液体。構想15年(!)という一杯は、濃厚なエスプレッソのよう。濃いお抹茶を飲むような、引き締まる感覚。
チャコリを入れるような作法で「AU LAIT」を仕上げていくベンジャミン。
泡立ちのある「AU LAIT」に、ココナッツのフィナンシェを合わせて。 華麗な手つきでベンジャミンが仕上げた「AU LAIT(オ ラテ)」は、ミルクの甘やかさが際立つ、まさに癒やしの味。フィナンシェのココナッツのコクともマッチし、3時のおやつに毎日いただきたいほど。子ども心に返ったところで、最後の一杯が登場。
コースの締めを飾る「DIGESTIF」。ラム&コーヒーフレーバーの中にブラックカルダモンがわずかに香る。ノンアルコールバージョン(モクテル)での提供も可能。 「DIGESTIF(ダイジェスティフ)」と名付けられたそれは、まさにカクテル。鹿児島のアコウ ラムとコーヒーをベースに、ブラックカルダモンやコリアンダーシード、バニラを合わせた一杯は、だんだんと暮れていく古都にぴったりな哀愁感じる味わい。スイーツのような優しさもあり、もうひと口、もうひと口......と飲み手を誘う。
全6種にわたる、多彩なコーヒー。ベンジャミンから近年のコーヒー市場、気候変動による産地の事情などを直接聞けたこともあり、これまで味わったことのないめくるめくコーヒー時間となった。茶道のようでもあり、懐石のようでもある美しい流れ、パフォーマンスにも感嘆。"日常でありすぎたコーヒー"が、まったく別の視点で見えた、非日常の体験となった。

