地理的に近いこともあり、中国企業の日本進出は以前から活発だったが、最近は自動車やカフェなど、数年前には考えにくかった業態の上陸が相次いでいる。その中でも変わり種と言えるのが、中国で“夜のスターバックス”を標ぼうし、若者をターゲットにしたバー「Helen’s bar(ヘレンズバー)」を展開する「海倫司酒館」(以下Helen’s bar)だ。6月中旬に東京・渋谷に日本1号店を開業し、秋には池袋への出店も計画する。
繁華街にとけ込む中華バー
Helen’s barの渋谷店は、若者やインバウンドの外国人旅行者であふれる道玄坂を7、8分上った先のビル2階にオープンした。6月下旬に訪問すると、開店直後の19時にもかかわらず大勢の客で賑わっていたが、客層が圧倒的に若い印象を受けた。
渋谷にオープンしたHelen’s bar大音量の音楽が流れる薄暗い店内に、ライトアップされた3リットルのビールサーバーが浮かび上がる。エスニックな雰囲気満載のインテリアは、東南アジアと少数民族をイメージしているという。
中国企業が経営するバーと言っても、中国風味はほとんど感じない。
とは言え客の多くは中国人だった。オープンから1カ月経った7月下旬に取材で訪れたテレビ局のスタッフも「日本人がいたグループは3組くらい。みな中国人の友達と来ているようでした」と話していた。
この1、2年、ティードリンクの蜜雪氷城(MIXUE)、カフェのCotti Coffeeなど中国の有名チェーンが相次ぎ日本に進出しているが、どこも中国人、特に留学生と思われる若い客でにぎわっている。
中華系、特に留学生と思われる若い客で店がにぎわっている在日中国人と訪日中国人旅行者が増えれば、その国で全く知名度がなくても一定の客数を見込める。これが中国の外食チェーンが海外進出を積極化する理由の一つだ。
筆者が住んでいた中国・大連市にローソン1号店ができたとき、氷点下の真冬にもかかわらず、小学生の息子と30分ほどかけて買い物に出かけたことを思い出した。
低価格戦略で大学生に浸透
Helen’s barは2009年に最初の店舗が開業し、500店舗超を展開するバー業態の中国最大手だが、中国でも「誰でも知っている」というわけではない。大学生から社会人1、2年目の若者にターゲットを絞っており、来店客の73.1%が24歳以下(同社調べ)だからだ。
ちなみに、体操の宮田笙子選手(19)が喫煙と飲酒を理由にパリ五輪の出場を辞退したニュースが大変話題になっているが、中国は喫煙・飲酒に年齢制限を設ける法律がないので、成人年齢の18歳からOKというのが共通理解になっている(18歳未満への販売は禁止されている)。だから大学1年生から飲んでも全く問題はない。
Helen’s barが若者の人気を集める最大の理由はアルコール飲料の安さで、ほとんどの商品を他社の半額程度の1本10元(約210円)以下で提供している。同社は低価格でも利益を確保するため、自社でアルコールを生産しており、ミルクビール、果実酒など若者受けする商品を展開する。
自社製造したミルクビールは人気商品の一つだという。Helen’s bar提供Helen’s barによると、5年ほど前にブランドイメージを固めてインテリアなどを統一し、「夜のスターバックス」を公言するようになった。2021年に香港証券取引所に上場し、「バー業態で初めて上場した中国企業」として注目を集めた。
コロナ禍の大打撃経て立て直しへ
だが、上場後のHelen’s barは逆風に晒され続けている。
上場によって調達した資金は規模拡大に充てるとし、実際に2020年末から2021年末までの1年間で店舗を431店舗増やし、ピーク時の2022年には859店を展開するまでになったが、同年に入ると新型コロナウイルスの感染が拡大し、Helen’s barは壊滅的な打撃を受けた。
2022年に2億4100万元(約51億円)の最終赤字を計上、その後は不採算店の閉鎖を進め、2023年末の店舗数は479に減った。上場直後に300億香港ドル近くに上昇した時価総額も、現在は10分の1以下の25億香港ドルを割っている。
ゼロコロナ政策が終了し、リストラが一段落したHelen’s barは現在、立て直しと再出発のフェーズにあると言っていい。同社の再出発の青写真は、国内のフランチャイズ展開と、海外進出の両輪で構成される。
加盟店募集資料によると、フランチャイジーは加盟費や利益の一部を同社に支払う必要はなく、アルコールだけでなくコーヒーやスイーツ、軽食など幅広いメニューの中から立地や環境に合った店づくりを行える。一方で、Helen’s barは自社製造したアルコール飲料などをフランチャイジーに卸して収益を得る。
2023年6月にフランチャイジー募集を始めて以降、半年間で月平均18店舗がオープンし、店舗数は500店まで回復したという。
ビジネスモデルは移植できず
中国でのフランチャイズ強化と同時に始めたのが海外進出だ。2023年5月にシンガポールに海外1号店を開店し、現時点でシンガポール3店、日本1店の計4店をオープンした。他に米国、マレーシア、ベトナム、タイ、インドネシアで出店準備を進めている。
進出2カ国目が日本になったのは「複数の国で開業準備を同時に進めており、日本は比較的順調に進んだ」(Helen’s bar本社)ためだが、前述したように在日中国人と訪日中国人旅行者が多いので、中国のSNSなどを通じて一定の集客が見込めるのは間違いない。
少数民族と東南アジアをイメージしたインテリアを特徴としている日本人もターゲットにするため、若者が集積する渋谷を1号店に選んだが、2号店は“ガチ中華”の中心である池袋に出店するという。
Helen’s barは7月19日、シンガポールに重複上場した。上場に際して新株発行はしておらず、シンガポールを中心とした東南アジアでの認知度拡大が目的と見られる。
フランチャイズによる中国での拡大とは異なり、海外進出がHelen’s barの業績に貢献するには時間がかかるだろう。
Helen’s barの中国市場での最大の強みは自社生産と組み合わせた価格の安さだが、海外での出店となると、その優位性は発揮しにくい。
渋谷店のアルコールはアサヒビールなど、日本の他店の商品と大きく変わらなかった。ミルクビールや果実酒などオリジナル商品も順次投入予定だが、通関手続きのためオープンには間に合わなかったという。
また、中国ではテナント料や人件費の高い大都市への出店を控え、中規模都市に多く出店しているが(大学生がメインターゲットなので、大学があれば商圏になるのだ)、日本では渋谷、池袋などとにかく「人流」の多いエリアを選んでいる。
その結果、渋谷店のアルコールやフードの価格は、「近隣店舗より少し安い」(Helen’s bar)水準にとどまり、ビジネスモデルが移植できているわけではない。それでも海外進出を急ぐところが、今の中国企業の空気を映し出しているとも言える。
自動車もカフェもティードリンクも参入企業が多すぎ、国内消費が振るわない最近は価格競争も加速し、どこも苦しい戦いになっている。健全な成長を目指すには、海外に出ていくしかない状況でもある。
Helen’s barが属するバー業態は集中度が低く、業界トップの同社ですら500店舗しか出店していないが(MIXUEは既に3万店を超えている)、ゼロコロナ政策を経験し、中国一極集中リスクを実感したのだろう。Helen’s barは日本市場について50店舗の出店を当面の目標に掲げている。
(文:浦上早苗)