二足のわらじで挑む、グアテマラコーヒーに迫る内外の試練
サン・ヘラルド農園(グアテマラ) ポール・スタリーさん
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丸山珈琲社長
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赤い宝石は危険と隣り合わせ
南北の米大陸を結ぶ地峡部の北端に位置する中米グアテマラ。スペイン植民地時代の面影が色濃く残る世界遺産の古都アンティグアや、約8万4000年前の火山噴火で誕生し、ドイツの地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルトが世界一美しいとたたえたアティトラン湖が有名だ。また国土のおよそ7割を占める山岳地帯には30もの火山がひしめき、中米で最も活発な火山の一つであるフエゴ山(3763メートル)も擁している。
その肥沃な火山性土壌はコーヒー栽培にも適し、隣国のメキシコやホンジュラス、エルサルバドルなどとともにグアテマラは主要なコーヒー生産国の一つに名を連ねている。
しかしこのホンジュラス、エルサルバドルとの3国国境地帯の治安の悪さは筋金入りだ。以前はよく車やバスで3国間を移動していたが、そのたびに現地の人たちには「気をつけろ、絶対に通るな」と制止されたものだ(唯一ホンジュラスでは「ケンタロウはホンジュラス人に見えるから大丈夫」と言われたが)。
グアテマラ国内に限ってみても、治安はお世辞にもよいとは言えない。元警察官が制服を悪用して偽警察官になりすまし、ギャング行為をはたらく事案も多発していたほどで、そうなると信じられるのは我のみとなる。「山中で車を止められたら、まず20~30メートル先の茂みを見ろ。そこに人が隠れていたらそいつらを轢(ひ)いてでも強行突破するんだ」。産地に向かう道中の車内で交わす会話は、時にそんな物騒な話題にまで及んだ。
正確に数えたことはないが、グアテマラへの渡航は30回をゆうに超えているのではないかと思う。治安の話を持ち出した後では読者に呆(あき)れられてしまいそうだが、「関わっている生産者に年に1回は必ず顔を合わせる」というマイルールを自らに課していた時期があった。そのため産地が広範囲にわたり国内移動に時間を要するグアテマラに至っては、エリアを分けて年に1~3回も通い詰めていたのだ。
さすがに途中でその無茶(むちゃ)さ加減に気づきあえなくそのルールはご破算となったが、ともあれグアテマラはそうまでして訪れたくなるほどに良質な産地に恵まれた国であることは間違いない。
異端の二人が先導したスペシャルティコーヒー市場
グアテマラは、以前の記事で取り上げたコロンビアとある共通点がある。両国とも自国を「コーヒーのエリート」とみなしている点である。確かにグアテマラはコーヒー栽培の歴史も長く、スペシャルティコーヒー以前から高品質なコーヒーを生産してもいる。そのような背景から豆の価格も他国と比べて高い。生産者も「これ以上払えないなら売らないよ」という感じ。つまりは売り手市場なのだ。
そのため買い付けを約束していた豆を先に他社に売られてしまうといったトラブルも数知れず、そうしたことが起こるたびに「ああ、またやられたな」と諦めにも似た気持ちで自身を納得させることになる。
このように一筋縄ではいかないお国柄で、唯一と言っていいほどに信頼の置ける人物が、今回紹介するポール・スタリーさんだ。生真面目で頑固な性格ながらウイットに富んだジョークを放つ才覚があり、彼とのドライブの最中はいつも笑い声が絶えない。気を張ることの多い海外出張では彼と過ごす時間は楽しいもので、気づけば私の妻より彼とのドライブの時間の方が長くなってしまった。
ポールさんは父親の代から営むサン・ヘラルド農園の2代目。だが、私とポールさんとの関わりは、彼のもう一つの顔である輸出業者として知り合ったところから始まっている。ポールさんは農園主と輸出業者の二足のわらじでコーヒーに関わっているのだ。
彼はオルガさんというビジネスパートナーの女性とともにコーヒー輸出業を手掛けている。オルガさんは2001年に初の自国開催となったコーヒー豆の国際品評会であるカップ・オブ・エクセレンス(COE)の立ち上げにも関わった国内のコーヒー業界では名を知られた人物で、この輸出会社も元は彼女が一人で設立したものだ。
オルガさんの狙いは、グアテマラで生産されるスペシャルティコーヒー、とりわけ小規模生産者のコーヒー豆を輸出し、広く世界に紹介することにあった。
グアテマラのコーヒー業界の内情をよく知る彼女は、かねてから有名な生産者の名で流通するコーヒーの中に小規模生産者の豆が混ぜられていることを不健全に感じていた。そこで小規模生産者がきちんと対価を得られる透明性あるビジネスモデルを構築しようと早くから画策していたのだ。
それはとても意義のあることで、私もその考え方に賛同して応援していたのだが、必ずしもその高い志は歓迎されるものではなかった。オルガさんのまっすぐな正義感は周りに敵を生みやすく、新たな取り組みを面白く思わない旧来勢力に目を付けられたのだ。また狡猾(こうかつ)で自分勝手な小規模生産者にだまされることも多く、彼女の事業は苦戦を強いられていたのであった。
そうした状況を好転させたのがポールさんだ。オルガさんが旧知の仲であったポールさんを招き入れると、彼はまるで潤滑油のように立ち回り、経営の安定化に寄与した。彼はグアテマラ人の癖や考え方を熟知していた。さらには利害関係者のあくどい思惑をうまくいなし、筋を通しながらあるべき方向へ物事を取りまとめる実務的な調整力にたけていたのだ。
隙あらば出し抜かれるグアテマラのコーヒービジネスの世界で清廉を貫く二人はある意味で異端だ。しかしその一貫したポリシーによって世界のバイヤーの信頼を獲得し、今では国内有数のコーヒー輸出業者にまで成長を遂げた。もちろん私にとっても、彼らは欠かせない存在となっている。
農園を襲った死の病
その傍らで、一生産者としてのポールさんとの付き合いは09年に始まった。彼の所有するサン・ヘラルド農園は、首都のグアテマラシティから車で1時間ほど南へ下ったアマティトラン(冒頭で触れたアティトランとは別地域)にある。カルデラ湖のアマティトラン湖畔に家が立ち並ぶ別荘地のような趣の街で、コーヒーの栽培エリアはその周囲の山沿いに広がっている。
このエリアもまた、グアテマラの優良なコーヒー産地の一つ。だが、現在ではメキシコ国境に面した西部のウエウエテナンゴなどの地区の方が質・量ともに優勢な状況にある。
端的に言って両者の違いは標高にある。スペシャルティコーヒーの肝である酸の質は標高の高さに依存するが、ウエウエテナンゴの栽培エリアが2000メートルに達するのに対してアマティトランは最高で1800メートルほど。ポールさんのサン・ヘラルド農園に至っては1400メートルと、さらに分が悪い。
この容赦ない標高による格差は、近年の温暖化がもたらしたものだ。00年代の半ばくらいまではサン・ヘラルド農園もCOE入賞クラスの豆を生産していたが、温暖化により勢力図が塗り替えられ、酸の評価の高い豆を生産する農園の標高は軒並み以前よりも高くなってしまったのである。
温暖化の影響は、ほかにも深刻な問題を引き起こしている。さび病だ。
さび病は「コーヒーさび病菌」によって発生するコーヒーの感染症。菌が付着した葉には赤さびのような斑点が現れ、やがてその木は光合成の機能を失って枯れてしまう。
これまで気温が高い低標高のエリアでまん延することが多かったさび病だが、12年に中米全域を巻き込んださび病のパンデミック(世界的大流行)では事態が違った。温暖化に加えて同年の湿潤な気候が災いし、実に1800メートル級の高標高エリアにまでその被害が及んだのである。
さらに悪いことに、サン・ヘラルド農園の場合は栽培品種がさび病の被害に追い打ちをかけてしまった。
今でこそ病気に強い品種の栽培にも取り掛かり、さび病への対策を模索しているサン・ヘラルド農園であるが、当時栽培していたのはほぼ100%がブルボンという品種であった。
ブルボンはグアテマラでは古くから愛されてきた伝統的な品種。ポールさんはその品質を誇りにブルボンを栽培していたのだが、アラビカ種の原種に近いブルボンは繊細で病害への耐性が低く、さび病の被害をもろに受けてしまったのだ。
一般にコーヒーの品質と耐病性や生産性はトレードオフの関係にある。品質を重視するポールさんが耐病性を犠牲にしてブルボンにこだわったのには一理あるが、世を俯瞰(ふかん)すればそれが容易な選択ではないことは明らかだ。
気候変動や病害がもたらす影響により、近い将来にコーヒー野生種の約6割が絶滅の危機にひんするという調査報告もなされている。現状維持では成り立たないフェーズが、すぐそこまで迫っているのだ。
スペシャルティコーヒーの産地としては標高が相対的に低いサン・ヘラルド農園は、その問題の矢面に立たされているようなもの。しかし誰よりもコーヒーに対して真摯で、行動力のある彼のことだ。この困難に屈するつもりなどさらさらないだろう。
生産者の個性が生み出す「おいしいグアテマラ」
コーヒーのおいしさは栽培や収穫方法、生産処理といった一連のプロセスにも当然ながら左右される。各プロセスでどのように生産者が介在するかというのは言い換えれば無限の選択肢の連続であり、料理と一緒で仮に同じ手法を用いたとしても手掛ける生産者によってその結果は異なるものになる。
その意味で産地や品種のみならず、生産者の個性もまた豆のキャラクターを決定する大切な要素となる。サン・ヘラルド農園においてそれはポールさんになるわけだが、輸出業で彼が見せていた生真面目な物事への向き合い方は、ここサン・ヘラルド農園においても健在である。
例えば手摘みの収穫の精度。必ず完熟したチェリーだけを摘むようにとポールさんから厳命されているのだろう、ピッカーは一粒一粒を確かめるように慎重にチェリーを摘んでいく。あるいは生産処理の徹底さもまたしかり。ウォッシュトにせよアナエロビック(嫌気性発酵)にせよ、こちらから見ると神経質に思えるほどに豆を洗ってクリーンに仕上げる。
そうした努力の甲斐があってか、彼のつくるコーヒーは不思議とおいしさに伸びしろがある。現地でカップしたときよりも少し時間をおいて日本で味わった方が評価が上がるのだ。
前述したようにポールさんの豆はスペシャルティコーヒーの基準に照らせば決して豊かな酸があるタイプではないが、丸山珈琲では人気商品の一つだ。エキゾチックなコーヒーではないけども、深煎りにするとチョコレートっぽい、すっきりとした甘みがあって飲みやすい。みんながイメージする「おいしいグアテマラ」が、彼のコーヒーにはある。
この記事が公開されて間もなく、収穫時期に合わせて私は久々にグアテマラを訪問する予定だ。もちろんポールさんは「ケンタロウ、いつ来るんだ?」と手ぐすね引いて待っている。今度はどんなジョークが飛び出すだろう? 彼とのドライブが今から楽しみだ。
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