複雑な歴史背景を持つカリブ海諸国
メキシコ湾の南、南北米大陸と大西洋に囲まれた洋上に浮かぶカリブ海諸島。西インド諸島の別称からも分かるように、15世紀末にコロンブスに“発見”されて以降、欧州諸国による上陸・植民地支配が進んだ地域だ。現在では13の独立国家のほか17の海外領土・自治領・海外県などが混在し、それぞれに異なる言語や文化、歴史を背負っている。
その中の一つ、ドミニカ共和国はスペイン語が公用語の国だ(ちなみにカリブ海にはドミニカを名乗る国が2つある。もう一方の「ドミニカ国」は国土がドミニカ共和国のわずか60分の1にも満たない、英語が公用語の国)。カリブ海諸島で最大のキューバ島に次いで2番目に大きいイスパニョーラ島に位置していて、東西に長い島の大地をハイチと分かち合っている。米メジャーリーグで活躍する選手も輩出していることから国名に聞きなじみがあるという読者も多いかもしれない。
今回はこのドミニカ共和国が話の舞台。とはいえコーヒー生産国としてのイメージがある人はどれほどいるだろうか? そこでまずはドミニカ共和国の属するカリブ海地域全体に視座を高め、大まかなコーヒーの輪郭をつかんでいくとしよう。
第2のブルーマウンテンと呼ばれたドミニカコーヒー
プロの間では昔から、あまたあるコーヒーを大別する際に「南米系」や「中米系」などと生産国が属する大陸や大まかな地域でひとくくりにして呼ぶことがよくあった。コーヒーの個性は大ざっぱにいえば産地の地理的環境と相関するためで、例えば「南米系で一番高級なのはコロンビア」「中米系ならグアテマラが高級だ」といった言い方をしていた。
その流れで「カリブ海系」と呼ばれるジャンルもまた以前から存在していた。温暖な海に囲まれ、高山も少ないカリブ海の島々の地勢は大陸のそれとは大きく異なり、生育環境の差異はコーヒーの味わいの違いとなって現れる。カリブ海系の特徴はその酸。酸の柔らかい、優しいコーヒーが生まれやすい土壌なのだ。
スペシャルティコーヒーにおける酸の重要性については本連載で幾度となく触れてきたが、その一方で日本のコーヒーシーンでは長らく酸味の少ないコーヒーが好まれてきた(そして現在もなお好まれている)ことも合わせてお伝えしてきた。風味に優れたアラビカ種で考えた場合、酸の優しいコーヒーといえば大国ブラジルがその筆頭であり、そしてカリブ海系コーヒーもかねて重宝されてきた存在なのであった。
カリブ海系コーヒーの代表格といえば、ジャマイカのブルーマウンテン。特定エリアで栽培されたもののみ名乗ることが許されたその誉れ高きコーヒーが日本へ輸入された当時、ジャマイカは英領だった。そこから「英国王室御用達」のキャッチコピーが考案されて人気を博し、ブルーマウンテンは高級コーヒーの代名詞的存在として日本国内で知られるようになった。
ではドミニカ共和国産のコーヒー(以降「ドミニカコーヒー」と記載)はどうだったのか? 一般的な認知度はブルーマウンテンに遠く及ばないものの、豆の特徴が似通っているドミニカコーヒーは「第2のブルーマウンテン」と呼ばれ、プロの間ではかなり重用されていたのである。
例えば30年以上前のコーヒー関連書籍を読み返すと、ブルーマウンテンブレンドをつくるにはブルーマウンテンの他にドミニカコーヒーも配合するとよいと書かれている。ブルーマウンテンらしい味にまとまるし、お客様にも「カリブ海系の豆なのでブルマンと同じような味が出るんです」とより説得力のある説明ができるというわけだ。
そうした事情からドミニカコーヒーは長く一定の需要があり、またブルーマウンテンと同じくかなりの高値で取引される豆でもあった。しかしスペシャルティコーヒーの登場によって、その立ち位置は当事国の知らぬ間にゆっくりと、しかし確実に変わっていくのであった。
12年ぶりの再訪で目にした衰退の危機
私がドミニカ共和国を初めて訪問したのは2004年。当時はスペシャルティコーヒーの黎明(れいめい)期で、「スペシャルティコーヒー? いやいや、うちの豆が一番だろう?」とドミニカコーヒーを過信する反応が大半だった。
ところが最高グレードの豆をカッピングさせてもらうと、スペシャルティコーヒーの評価基準で最高のものでも84、85点といったレベル。品質はそこそこだが、その割には高値で微妙だなという感想が正直なところだった。ひとまずダイレクトトレードを始めてはみたものの、当初抱いた品質と価格のズレはついに埋まらず、数年で取り扱いを停止。残念ながらそれからしばらくはドミニカコーヒーとは疎遠な状態が続くことになってしまった。
途切れた縁が再びつながったのは、16年のこと。04年の初訪問時に顔見知りになった日本人女性がドミニカ共和国でコーヒーの輸出業を営んでおり、「ぜひまた現地に足を運んでほしい」という彼女の呼びかけに応えることにしたのだ。ラス・メルセデス・デ・ドン・アルフレド農園を営むアルフレド・ディアスさんとのお付き合いも、彼女の紹介がきっかけで始まったものだ。
しかしこの12年ぶりの再訪で、私は強い危機感を覚えることとなる。そこにあったのは、以前と何ら代わり映えのないコーヒー。スペシャルティコーヒーの躍進によって日進月歩の進化を遂げている世界と比すれば、それは衰退を意味する状況であったのだ。
中米のエルサルバドルやコスタリカでは、05年から06年にはハニープロセスと呼ばれる新たなタイプの生産処理が広まっていたが、16年当時のドミニカ共和国のコーヒー生産現場で見られるのはウォッシュト、いわゆる伝統的な水洗式の生産処理がほとんど。アルフレドさんは珍しく良質なナチュラル(乾式)の生産処理も手掛けていたことから一目置くに至ったが、その彼でさえそうした他国の状況については無頓着、いや言葉を選ばなければほとんど無知といえるようなありさまだった。
この10年にも及ぶ他国との情報や技術の格差がなぜ生じてしまったのか? 不思議に思い関係者に尋ねると、「島国だから、情報鎖国になっているのです」と。「そういうものなのか?」と驚くしかなかったが、大筋としては豆が相変わらず高く売れていたことで井の中の蛙(かわず)になり、ドミニカ共和国のコーヒー産業全体に危機感が欠けていたというのが実情なのだろう。
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コスタリカへの旅で知る本物の世界レベル
コスタリカへの視察旅行をアルフレドさんに提案したのは、彼と付き合って2年がたった18年のことだった。「俺のコーヒーは世界一だろう?」と相変わらず天下を取ったような気分の彼ではあったが、私が時折伝える世界のトレンドにも少しずつ興味を示してくれるようになっていた。ただ見よう見まねで彼がやってみたところでうまくいくはずもなく、それなら百聞は一見にしかず、実際の現場を訪ねるのが早いだろうと考えたのだ。
私が訪問先にコスタリカを選んだのには理由がある。中米で最も先進的なコーヒー生産国であり、中でも先述したハニープロセスの技術を学ぶことはアルフレドさんの農園に必ずよい影響を与えるだろうという目算があったのだ。
ドミニカコーヒーの伝統的な生産処理方法であるウォッシュトは、ミュシレージ(粘液質)を完全に除去することでクリーンな仕上がりになるが、それゆえにテロワール、つまり栽培地のポテンシャルの差が残酷なまでに豆に反映されてしまう。対してミュシレージを生かした生産処理方法であるハニープロセスはそのデメリットを克服できる。ミュシレージによって作り出される甘みやフレーバーをまとわせることで、ウォッシュトでは表現できない豆の個性が生まれるというわけだ。
初めは私の提案に二の足を踏んでいたアルフレドさんも最終的には腹をくくり、かくしてアルフレドさんと彼の息子さんを引き連れてのコスタリカ旅が決行された。1週間かけて国内トップクラスの農園を歴訪する、丸山流のスペシャルツアーである。
旅の収穫は私の予想通り、いやそれ以上のものだった。ただそれはアルフレドさんがプライドを捨て、厳しい現実を受け入れたことで得られた対価でもあった。
ある日、彼が持参した豆とコスタリカの生産者の豆とを飲み比べをする機会があった。彼はその時にようやく事のすべてを理解した。自国ではお山の大将を気取っていた彼も、コスタリカの生産者の豆をカッピングした後ではさすがにそのレベルの違いを認めるほかなかったのだ。
彼の農園との違いはいろいろあったが、私が思うに彼が最も衝撃を受けたのはコスタリカの生産者の「プロフェッショナリズム」そのものだったのではないかと思う。
機械のメンテナンスからロット管理、農園のマネジメントやサステナビリティへの配慮に至るまで、コスタリカの生産現場は、個人の裁量に任されがちな(ゆえにいいかげんになりがちな)ドミニカ共和国の生産現場にはない真剣さに満ちていた。高品質なコーヒーはそうした環境が整って初めてもたらされることを、アルフレドさんはようやく身をもって実感したのだった。
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革新の前に立ちはだかる伝統という高い壁
コスタリカから帰国したアルフレドさんはすぐさま自身の農園の改良に着手した。設備投資を行い、従来のウォッシュト、ナチュラルに加えてハニープロセスを含む新たな生産処理にも意欲的に挑戦。これまで一緒くたになっていた苗を品種でえり分けて管理し、さまざまな生産処理と掛け合わせる研究を開始した。また、従来の農園よりも標高の高いエリアに実験農園も開設。テロワールの違いを念頭に置いた栽培にも取り組んでいる。
うれしい誤算と言うべきか、彼はわずか1~2年で私の予想を大幅に上回る成果を上げ、今では文句なしの国内トップ生産者に上り詰めた。これまでエンジニア業の傍らで農園の手伝いをしていた息子さんもコスタリカの体験を経て火がついたのだろう、近々専業になると耳にした。
アルフレドさんの目覚ましい活躍は、彼に変革を促した張本人としては胸をなでおろす思いだ。一方でドミニカ共和国全体を見渡せばコーヒーの未来はいまだ楽観視できない状況にある。
旧態依然とした産業構造は「第2のブルーマウンテン」の栄華から抜け出せず、既得権益の力は相変わらず根強い。一部の有志たちがコーヒー豆の国際品評会であるカップ・オブ・エクセレンス(COE)の国内初開催に向けて働きかけをしているようだが、それも頓挫したまま。審査に足る品質の豆が十分にそろわず、時期尚早であるとCOEの主催団体からみなされているのだろう。
このような状況を打開するには、現状では個の力のさらなる飛躍に頼るほかない。アルフレドさんのような外の世界を知る生産者が少なくともあと4~5人は欲しい。COEのような個人にスポットが当たる品評の場を待ち望む生産者は必ずいるはずで、そうした声が多く集まることで“大きな岩”を動かすことができるのではないかと私は期待している。
ドミニカコーヒーが上品で飲みやすいことは確かだ。特に日本人の口には相変わらずよく合う。しかし伝統さえ守っていればいいというビジネス観は、スペシャルティコーヒーという新たな価値基準を前にしていよいよ通用する時代ではなくなった。世界のニーズはさらなる変化を要請する。大義なき伝統への恭順は自らの未来を放棄するようなものだろう。
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